© 2019 by Gentaro Ishizuka

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ふと、夜中に目が覚めると、気配からも風が止んでいる気がした。案の定まだ、暗がり の早朝にテントから這い出してみると、ビーチの目の前はしんとした静けさとともに、 まっさらな水面が、アイススケート場のように広がっている。

荷物をまとめて、クロッツヒルのビーチをまだ暗がりの朝方に出発する。干潮からの満 ち込みの潮にのって北に向かう。未だ空は雲に覆われている。夜明けとともに、また少し風が吹き始める。その風は、北へ向かう僕と僕のカヤックの背中を、今ではやんわりと押してくれる。おととい襲いかかるように向かって来たそれら、波と風は今は僕を撫でるようである。優しく語りかけるようである。

一昨日酷使したパドル筋が気持ちよく悲鳴を上げている。木製のパドルを握る右手首に 違和感があり、そのことにストレスを感じている。けれど、左手でかばうようにパドルすれば航行に問題はない。

去年の遠征に比べて、正直少し日本での練習不足を感じてしまう。それは後悔しても仕 方のないことであるが、日本ではなんだか慌ただしくしながら、出発の日を迎えてしまった。練習の為に相模湾に繰り出す回数が足りなかった。 練習不足に加えて、プラスチック製のパドルから、より重い木製のパドルに変えたせいで、手首に負担がかかっている。もくもくとパドルを返していきながら、練習の為のルートである逗子の海岸から、江ノ島への景色を思い浮かべてみる。逗子の海岸から浪子の岬を超えていき、由比ケ浜を遠くに眺める。稲村ケ崎を超えて、七里ケ浜の駐車場を横目に見る。鎌倉高校や鎌倉プリンスの前を江の電が走り行く。腰越漁港に行き来する漁船に気をつけながら、江ノ島の灯台を目印にUターンしてくる。そのルートは天気の良い日には遥か彼方の富士山を眺めながら漕ぎゆくルートでもある。海岸線はたくさんの住宅や施設で埋め尽くされている。車のクラクションや、電車の音、あらゆる騒音が海上を離れて進む僕の耳にも届いてくる。それらは人間が生活する万国共通の文明の音である。この氷河湾とはなんと違った景色だろうか。けれどそんな騒音が今は、なんだか懐かしく思われもする。

一度、沿岸にカヤックを停泊させて、流れ出る小さな滝で水を補給する。カヤックにく くりつけているタンクを、氷河の水で満たしていく。ついでにその滝で体を洗うことにする。心頭を滅却したつもりで、服を脱ぎ捨て滝の下へと入る。心頭など滅却できずに、滝からすぐに飛び出す。ほうほうほう。しびれるほどに水は冷たい。けれど久しぶりにシャンプーをすると、身も心もすっきりとする。体毛もなく、色の白い全裸の自分はここアラスカの自然の中で、とてもひ弱は存在である。僕は確実に、ゴアテックスとポーラテック、フェザーダウンなどに守られながら、ここまで来ているのである。

滝の水は、口に含むとなんともおいしい。ごくりごくりと飲む程に、ごくりごくりと全 身に活力が溢れるようである。今日はいい一日である。周りの自然と喧嘩することなく、 無理する事なくそれらに馴染んでいる自分を感じている。そして空にかかっていた雲も北に向かうにつれて薄くなり、雲の合間には青空も見え始めていた。

上陸しやすい手頃なビーチで、イワシ缶を混ぜ合わせただけのスパゲティーで早めの昼 食。その後、しばし昼寝休憩。ビーチに流れ着いた流木を枕にして、まどろんでいると、 体は未だ水面上にいて、波間に合わせて揺れているようである。黒熊さんとの遭遇以来、とても音に神経過敏になってしまっている僕は、ちょっとした風の物音ではっとして起きてしまう。それらはだいたいにおいて気のせいである。気のせいでなかったら、大変なのだ。そしてまたまどろんでいると、またはっとして起きてしまう。

昼寝をあきらめて、座ってコーヒーを淹れていると、オレンジ色のくちばしを持った鳥 が、足下まで近づいてくる。オイスターキャッチャーという鳥である。距離を保ちなが ら、僕の方をじっとみている。真っ黒な体のその鳥と動かずに見つめ合い続ける。どれくらいそうして見つめ合っていただろうか。まるで僕とオイスターキャッチャーがお互いの体を乗り移って交換してしまいそうな程にである。オイスターキャッチャーも僕も全く動かない。鳥は目が左右に付いているために、注視する時は、くちばしを横にした横顔でじっと注視する。その顔をみているとなんだかキュビズムのピカソの絵のようである。 真っ黒い顔に、ちょこんと付いた白目の意志は、全くに計りかねる。

そのうちにオイスターキャッチャー君と見つめ合うのにも飽きてきて、再びカヤックを 履き込んで再び北に向かう。数年前、森の中でフクロウとしばらく向かいあい見つめ合い続けたこともあったっけ。ふくろうはちゃんと眼が二つ、顔の正面についているから、見つめ合いながら、人間の僕ともきちんと正体することができる。おもしろいのは、なんとなく神経質そうなフクロウは、不思議そうに顔をいきなり360度回転させるのだ。周りへの警戒を忘れることは、けっしてないのだ。何分も見つめ合い続ける間に、そうやって何度も顔を回転させていたっけ。森の賢者フクロウさん。

グース岬を超えると、対岸にとうとう氷河の固まりがぽつぽつと浮かんでいるのが見え る。それらは陸と海面の境界線に空白のように白く浮かんでいる。遠くで見ている限り、 とても小さく見えるけれど、一つ一つはきっと僕の背丈以上に大きいに違いない。あれらはマックブリッジ氷河から流れ出て来ている氷塊なのであろうか。大きく迂回しないようにしながら、氷塊に近づいて撮影して回る。それらひとつひとつはまるで彫刻物のようである。置かれるところに置かれていたら、現代美術のオブジェのようである。クジラの尻尾のような形の氷塊を見つける。一体どうしてこんな形になるのだろうか? 海面下には本当に、氷の形をしたクジラがおよいでいるのかもしらん。

流れてくる氷塊を撮影しつつ、北に向けて休む事なくどんどんと漕ぎ進めていく。海面 の流れは満潮時にぴたりと止まり、分からない程度に今度はどんどん引いてゆく。マックブリッジ氷河の入り口である小さなの湾の取り付きまでは、今日のうちに着いてしまいたいところである。

地図をみても、その目的地まではあと一漕ぎといったところである。ヌナタック山と呼 ばれる低山が目の前に見える。その先が、マックブリッジ氷河湾の入り口であるはずだ。 グース岬だの、ジョージポイントだの、マックブリッジ氷河だの、西洋式の名前ばかりがつけられたこのエリアの中でヌナタック山だけが、明らかに先住民族たちの呼び名がつけられている。

氷河湾一帯は、いくつもの部族に細分化されて、住まわれていた南東アラスカの地域の 中で、もともとフーナと呼ばれる原住民たちのテリトリーである。きっとヌナタックという名もフーナインディアンの呼び名に由るものなのだろう。

そのヌナタック山は、400m程の低山であるが、このあたりの海峡ではやはりその存在感のある山だ。

そのヌナタック山を右手に見ながら超えていくと、開けた湿地帯にでる。マックブリッ ジ海岸氷河は、ここから東側に折れるように曲がってさらにあと、あと1マイルほどのところにあるはずである。腕がぱんぱんで、かばって漕いでいる右手首にしびれがきているようである。けれど、ここまでくればなんとかマックブリッジ氷河までは辿り着けるに違いない。

問題は、マックブリッジ氷河湾の入り口がせまく、潮の満ち引きの時間帯を間違えて、 遡行すれば、とても危ないということである。引き潮や満ち潮は、入り口が急にせまくなる湾への入り口で、はげしい急流となり、その急な流れのなかでカヤックのコントロール は全く効かない。満潮時においてのみ、流れは静まり、安全に湾の中へ入っていけるというわけである。出る時もまたしかり。このポイントだけは慎重にいかねばなるまい。

とりあえず、カヤックを停泊させて、湾の入り口を歩いて偵察しにいく事にする。あた りには、ぼこぼこと大きな氷塊が転がっている。大潮の満潮時に陸に乗り上げた氷塊は、そこで太陽に照らされて、後は解けていくのみである。もちろん海面に漂っていても解けていくだけなのであるが、陸上に打ち上げられたその氷たちは、ここからは異世界であることを物語っているようである。

カヤックを停泊させた場所から歩くことしばらく。問題の湾の入り口が見渡せる場所に 行き当たる。引き潮のこの時間は、湾内の水が激しい流れで湾外へと流れている。この流れでカヤックを航行させるのは、論外である。そして、その流れの途中では大きな氷塊は何個か流れをせき止めるようにしてあり、万が一流れにのることは可能であったとしても、その氷塊にぶつからずに、避けて通れはしないであろう。

湾の中にも大量の崩れた氷河が見える。それらはとても美しい。明日からも氷河の様々 な写真が撮れるに違いない。そして、未だ見えてはいないけれど、マックブリッジ海岸氷河もすぐ湾の深部にそびえているはずだ。セスナから眺めたようにきっとその氷壁を青く光りながら、そこにあるに違いない。今日のうちにアプローチしたい気持ちを押さえて、今晩は湾の入り口で野営することにする。湾への侵入だけは慎重にいくべきだ。

干満の差が激しいこの平地では、陸の奥でテントを張らなくてはならない。16mの干 満は、あたりの景色を驚く程にいっぺんさせるのだ。起きたら水没したテントで寝ているなんてことは避けたいところである。

夜のたき火の為に、あたりに転がる灌木を集める。今日は、氷河の氷で本物のオンザ ロックが飲めるだろう。その為には、「つまみ」にたき火が必要ではあるまいか。集めた木枝に腰を落ち着けて、それらに火をつける始める。なんだか心からほっとする事ができる。これで夜の熊対策にもなるだろう。このぱちぱちと鳴り踊る炎の中には、きっと人間の人間たる所以があるのではあるまいか。人間が衣服を来だし、言葉をしゃべり、家に住み着き、ついにはカメラなどという不可思議な機械を持ち出して、氷河くんだりまで出かけて来てしまう、人間と動物とを分け隔てる決定的な何かの始源が、この炎の奥にはあるのではなかろうか? あの、熊五郎と僕を、フクロウさんと僕を、決定的に隔てている超えられない境界線の秘密が、闇に消えていく炎の赤い色の中にはあるのではなかろうか。

集めた木枝が煙となって消え去っていく事が、とても不思議に思える。今晩は新月で、 雲が切れて来た空にも、月の姿は見あたらない。氷河で飲む本物のオンザロックは、

ジャックダニエルさえ甘くさせている。たき火とウィスキーで体を暖めて、明日からの凍えるような撮影に備える。夜、遠くで氷河が崩れる地鳴りがこだまする。