© 2019 by Gentaro Ishizuka

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鳥のさえずりの中で目を覚ますとテントをはい出して、空を仰ぐ。太陽がすでに東の空にうっすらとその光を照らしている。空は雲一つ見当たらない程の晴天であり、東の空に三日月と、いくつかの星の姿も見える。即席おかゆの簡単で暖かい朝食をすぐに済ませたら、荷物を撤収してカヤックに積み込んでいく。海水面は、昨晩停泊した場所から10メートル 以上も引いていて、潮の引いたあとには、黄金色の海藻が地面にこびりついて踏みしめる度にくちゅくちゅと泣く。忘れているものはないか、僕が昨晩寝ていた場所を振り返ると、その場所は草むらがつぶれ、気配だけでもなにか不自然である。僕の一晩の睡眠の重量がそこには形跡としてある。人が自然の中に残していく痕跡はいかんともしがたい。たった一晩眠っただけだとしてもである。いつかそんなささやかな痕跡だけを写真に撮影したいものである。

朝の光の中に壮快に群島を抜けていく。視界が開けて海原が目の前に広がる。空から眺め確認したマックブリッジ氷河までは、あと70キロほど。穴のあくほど眺め続けた地図をたよりに、フラップジャック島、レランド島、スタージェス島、ガルフォース島、この4つの島を飛び石するよう進んでいく航路をとることにする。東側のフィヨルド沿岸を通っている航路よりもアイランドホッピングしていく航路は、断然にパドル距離は短いが、陸から遠くは慣れた場所を漕ぐので、転覆した時には大変である。 風、波の様子を見て一気に島と島の間を漕ぎきらなくてはならない。外洋のうねりを受けないこの氷河湾では風さえ吹かなければ、海面は鏡のようであるが、それにしても、陸からはるかに離れていく航海は、なんとも僕を不安にさせる。

いよいよ、今日からが氷河湾遠征の本番である。一昨日の朝、この旅自体に尻込みしていた自分とは違い、これからの旅の行程の中で待ち受けているものすべてに対して、素直に胸を膨らませている自分がいる。昨晩のクジラの鳴き声を聴きながら眠った、神秘的とも言っていい体験が大きく気持ちのなかで尾をひいている。あんな体験はそうそうにできるものではないだろう。ただただ浸すように自分自身をこの自然の中になじませていけば良い。去年遠征していたウィティアー周辺の自然と同じように、アラスカの太平洋側の自然環境は、本当に豊かである。そこにいるだけで元気になれるような大自然である。アメリカ人がこの州立公園を大切に守っていることの意味を初日から理解した。そしてここはアクセスする道路がなく、来る事自体が困難であるから維持できる自然環境であることは間違いない。わざわざセスナ機に乗ってやってくるに値する、アラスカの自然の神秘を十分に感じられる場所であるのだ。

今日は、この上ないくらいにカヤック航行日和である。パドルしている手が汗ばみ、着込んでいるアウターを脱いでTシャツになるほどの天候である。あたりには、誰一人いない。エンジン付きの船の数が規制されているここ氷河湾では、航行している船の姿もいっさいなし。見渡す限りの海原と、遠くに見えるフェアウェザー山脈と、目指すべき島影の姿の中で、僕はぽつんとひとりきり、ひたすたに真北に進路をとって、一漕ぎ一漕ぎ艇を進めていく。空を見上げ、セスナから見てもきっと確認できない程の小さな小さな点として、海面の上にいま僕はあるのだなあと思う。ちょうど次の島までの中間地点で一息つく。暇つぶしにパドルする数を 数えていたのだか、430回位で止めた。そんな数全く意味はない。パドルする手を休め、推進力を失ったカヤックは、どこか急に不安定な存在である。いったいに自分はこの湾の真ん中で、下半身に船を履きこんでぷかぷか浮かんでみれば、なんともなんとも矮小な存在である。つむじ風がひゅーと僕とそのカヤックをひっくりかえしてしまったら、もうおしまいであるだろうか。漕ぎだしてきた岸にも、この冷たい水のなかでは泳ぎきれないであろう。目指すべき島までも勿論泳いではいけないやしない。あたりの自然を見渡してみても、やっぱり誰もいない。叫びは、そのまま僕自身にしか帰ってきやしないだろう。けれど、ふと自由だなあと思う。なぜかこんな瞬間にいつも自分は内側からほとばしる程に自由だなあと思ってしまう。ひとり、広大な自然のなかに取り囲まれてみれば、それらは僕らの生など全く及びもつかない全体性である。気の遠くなるような悠久の時間の中で、無限の生と死を育んできた全体性である。ぼくらが少しでもその全体性を感じたいと思う時、おかすリスクは自分のごくごく矮小な生とひきかえだ。

けれど、どこかでいつもそれを奪われることはないだろうと、思っている。根拠のない自信を もって、大丈夫だと思っている。阿呆にも、白痴のようにでも大丈夫だと思っているから、その全体性に挑んでいく。辿り着ける場所は、その時次第であるけれど、この体が動く限り帰還できないことはないと、はなから過信してかかっている。それは確実に若さであり、また自由を感じられる特権でもあるのだろう。

島と島の真ん中でぼーっと、景色を眺めて休憩するのにも、飽きてくるとまた前方の一点を見据えてパドルをゆっくりと漕いで行く。このグレイ シャー湾を、航行するための肩ならしに4、5日の行程で漕いできたルコント湾での遠征で、腕の周りについたパドルの為の筋肉も心地よく悲鳴をあげている。

海原は湖のように平面で、鏡のように目の前の景色を逆さに映し出している。一点を見据えて、無心に左右のパドルを漕ぎまっすぐ進む事だけを考えていると、なんだか瞑想でもしているような気持ちになってくる。左右の規則正しく力強いパドルは、腹からの呼吸によって生まれてくるのがよくわかる。

遠くの島は、漕いでも漕いでもその距離が縮じまっているようには見えずに、自分が出発した背後の場所を振り返り、ようやく自分が少しずつで も進んでいることを確認する。けれど、その海面を無心で左右に漕いでいると、いつの間にか前方の島は近づき、いつの間に数キロくらいの行程を漕ぎ切っている。勿論、島の方がこちらに向かって進んできているわけでもなし、僕自身が必死にパドルしてきているのであるが、目的地に到着する時には、急にたどりつくような感覚さえおぼえてしまうものである。

レランド島の北部に上陸して、卵入りインスタントラーメンを茹でる。 懸命に運動した後に、大自然の中で食べるものならば、この即席麺でさえまるで高級レストランで食べるもののようにおいしく感じてしまう。ちなみに今晩の夜ご飯は、鮭の炊き込みご飯である。荒野では、食事の献立などを考えるのも億劫で、簡単にできておいしい同じような献立を毎日毎日 繰り返していくのです。

昼食後は、木陰でしばし昼寝して、寝袋やら荷物を広げて天然干し。自分の装備たちにも太陽を当ててエネルギーを蓄えて、午後のパドルに備える。日差しは相変わらずに眩しい。天候の変わりやすい南東アラスカにあっては、こんなすばらしい天気が長く続くとは思えない。一旦体を横たえると、この島のビーチでテントを張って野営してしまいたい欲求に駆られるが、荷物をまとめてもうひとつ先のスタージェス島を目指ことにする。荷物をすべて積載して、遥か彼方に見える島を見据える。

一体こんな日々があと何日続いていくのだろうか。目指すべきその島は、今はまだはるか彼方に見えるけれど、パドルを進める度ごとにまた少しずつ少しずつ大きくなってくる。振り返ると、先ほど休んでいた島が背後で小さくなっているのが見える。島と島との真ん中で、空を再び仰ぎ見ると、太陽がまぶしてくらくらと目眩がした。