© 2019 by Gentaro Ishizuka

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本日も相変わらずの曇り空。けれど昨日とは違い、風が吹いているのが感じられる。 木々がそよぐ程の西風である。宿の敷地内に住んでいるオーナーのジョンも中庭にでてきて、マグカップ片手に一緒に空を仰ぐ。 今日は、次第に晴れるかもしれないなあとつぶやく。 共用キッチンでは、昨日の宴会の後の瓶やカップの残骸が、アルコールの臭気といっ しょに残されている。相部屋のふたりは、ジェームズの漁船への乗船祝いを兼ねて、昨晩はしこたまウィスキーなどを飲んだようである。真夜中にどたどた部屋へ帰ってくる二人の音で目が覚めた。おかげで昨晩はふたりが帰ってこない間、部屋を占拠するように僕は、安らかな眠りをむさぼれて快適であったのだけれど。インスタントコーヒーを淹れていると、隣の部屋に泊まっているカリフォルニアからのカップルが入ってくる。彼らは、トレッキングをしにここヘインズの街に来ているとの事である。今日は、街の北側にあるリピンスキー山へのトレッキングへでかけるらしい。リピンスキー山は、標高1100mほどの低山である。ハイキングに毛が生えた程度の登山で行けるらしい。 君も一緒に行かないかと誘われるけれども、今日もまずは街に遊覧飛行の状況だけは確認しにいかなければなるまい。もし今日も遊覧飛行のセスナが飛ぶ様子がないならば、その後で、トレイル散歩にでかけるのもいいだろう。リピンスキー山へのトレイルはヘインズの街の先にあるので、ふたりのレンタカーで街まで送ってもらう。はしゃぎながらふたりで山にでかける姿がなんとなくうらやましく思えてしまう。

退屈な天候待ちをしながらも、グレイシャー湾州立公園の遊覧飛行にこだわるのには、もちろんそれなりの訳がある。空から氷河の俯瞰写真を撮影したいというだけでなく、それ以上に重要なのは、上空からの確実なロケーションハンティングである。数十キロ、時には百キロ以上の距離をカヤックで漕ぎ進め、アプローチしたその先の氷河で、撮影対象としてそぐわないという体験を、僕はこれまでアラスカの他の土地で何度かした。いくら地図の等高線や、氷河の幅を仔細に眺めたところで、いくらインターネットの画像検索で、ある湾のある日の氷河の形を画面上で確認したとしても、特定の場所の現在の氷河の状況をわかり得るものでは決してない。一体誰が、あそこの氷河が今とても青く露出していて美しいよなどと教えてくれるというだろう。それは、ぼくだけが求めている写真的フェティシズムであり、そもそもマニアックな情報なのである。ならば、自らの目で確かめる以外にすべはありはしない。そして、東西350キロ以上も続く細長いフィヨルド群で形成されるグレイシャー湾を旅する時には、目的地の設定がどうしても必要である。僕のパドル力を持ってして、グレイシャー湾内の、大小含め14個の海岸氷河すべてをみてまわろうと思ったら、最低でも3週間以上に及ぶキャンプ生活が必要になってくるに違いない。2週間以上を超えるキャ ンプ生活は、僕にはどうしても考え辛かった。2週間分の食料をカヤック内に積載して、10日くらいで街に帰ってくる事が一番望ましい。勿論、それは食料だけの問題ではなく、僕の精神的、肉体的な限界に関してもである。 そう考えると、やはり上空からなんとしても、目的地たる海岸氷河を特定し、その氷河までの往復距離を考慮にいれながら、旅を組み立てていく必要があるだろう。闇雲に漕ぎだしていく訳にはいかない。闇雲に漕ぎだしていくには、待ち受ける氷河湾の土地はあまりにも広大であるのだから。

通りに面したフライトシーイングカンパニーの事務所に、今日もまずは顔をだす。事務所の女性はドアから入ってきた僕を見て渋い顔をする。天候は回復に向かっていて、午後は晴れる予報であるが、グレイシャー湾の東側、西側の両方のエリアを飛ぶ遊覧飛行には参加する旅行者がいないとのこと。座席の数は、僕をいれて4つ。すべての人員の為の費用を、僕がカバーするなら話は別だが、少なくともあと2人はいないとセスナ機は飛ばないとのこと。ともかく、また午後一番にでも連絡を取り合うということでお暇する。天候が回復すれば遊覧希望者が現れるかもしれないからと。毎日通い、毎日よい返事をもらえない僕を、受付のお姉さんも少し気の毒そうである。お隣のドレイクフライトシーイングカンパニーは相変わらず閉まっていて、ドアに用事がある人は、携帯に電話をしてほしいとのピンナップ。

今日もやっぱり手持ち無沙汰な一日である。リピンスキー山にトレッキングに行く事を真剣に考えるが、午後のフライトの可能性に望みをつなげよう。空は、急速に晴れ渡り始めている。今では、西側の山々が見え始めているではないか。そして山肌の中腹には、レインボーグレイシャーと名付けらた青白く光る氷河が取り付いているのが見えはじめている。ヘインズの通りをあてもなく、とぼとぼと歩いてひとまず宿まで戻る。ジェームズとピーターは、遊覧飛行などに行かないであろうか。二人がいけばちょうどセスナ機の座席が埋まるのになあ。けれど、あのふたりこそ最も遊覧飛行などにいかなそうな二人である。未だにベッドで寝ているふたり。午後まで時間をつぶして、再び歩いて街に出る。街までの往復の道のりがなんとも憂鬱 である。フライトシーニングカンパニーはやはり午前と同じ回答。遊覧飛行希望者が集まらないとのこと。お隣のドレイクフライトシーニングカンパニーに電話してみる。すると、2人の遊覧希望者が電話をかけてきてこれから、事務所に来てもらう予定だから、是非君も、来ないかとのこと! 君も入れて3人になれば、天候も問題ないし、パイロットのドレイクが今日は フライトに行こうと言っているとのことである。現在グレイシャー湾上空は、とてもいい 天気だそう! ここ数日待ち続けた吉報である。急いで撮影機材を取りに宿に戻り、ドレイクフライトシーイングカンパニーに駆けつける。事務所には、すでにふたりの旅行者がフライトの説明を受けている。見たところ僕の両親くらいの夫婦とおぼしきふたりである。ふたりともに、僕と同じようにグレイシャー湾の西側、東側の遊覧飛行を希望している。チャーターフライト自体は、2時間程の遊覧飛行のあと、ヘインズに戻ってくる事になるが、僕はそこでセスナを乗り換えて、グレイシャー湾の飛行機場であるガステイバスにひとり定期便で向かうことにする。これで今日は、僕の希望通りのフライトが手配できることになる。待った甲斐があったというものだ。地図を見ながらフライトの説明を受けたあと、車で20分ほどのヘインズの空港に移動する。アラスカの田舎町によくあるだだっ広い滑走路だけが一本あるだけの空港である。そこで、パイロットのドレイクが待ち受けている。 白髪交りの小柄な彼は、自らに青い機体のセスナ機にガソリンを注入している。ぱちりぱちりと、そんな彼をライカで撮影する。思ったよりも小さなその機体はとてもかっこいいが、ジャンボジェットの安全なフライトになれている自分は、本当にこの小さな機体で空を飛ぶのかと、頼りなく思えてしまう。ガソリンを入れ終えると、ドレイクが手を貸してくれてくれて一人一人、コックピットの中を案内してくれる。窓は、写り込みの少ないプラスチック製である。空撮には最高である。ドレイク自らもその小さなコックピットに収まると、まるで車の運転くらいの手軽さで、セスナはすいすいと滑走路へと進んでいく。高度計、水平計、速度計に、コンパスやら、無線やら、様々な計器類が並ぶそのコックピットは、僕の好奇心を惹き付けてやまない。少しでも自分であらゆるスイッチをいじり回したい欲求に駆られるが、勿論そんなことは許されない。セスナは、滑走路のセンターラインにくると、プロペラのスロットルを一気にあげてぶーんという加速音とともに、機体はまっすぐに走っていく。一直線のセンターラインをなぞるように、4人を乗せた機体は一気に速度をあげていく。窓から過ぎ去り行く飛行場の景色を見ていると、いつの間にか、滑走路には機体の小さな影が写っているのが見える。いつの間にか離陸しているのだ。すでにセスナのタイヤは音もなく、あっけなく陸との接続をたっている。ふんわりと浮かんだセスナと空の距離はとても近い。一気にヘインズの街が俯瞰される。僕の席からは、リピンスキー山の尾根も見える。港に見えるオレンジ色の建物は、昨日までビールを飲んでいハーバーバーである。あの国道は何度も何度も往復した、泊まっていた安宿に通じる道である。港の先に は、大きな客船がいつの間にか停泊している。空にいったん飛び立ってしまえば、眼下で起きている事は、まさに一目瞭然である。あの街の学校で遊ぶ子供たちのことも。あの山腹で草を食む羊の群れのことも。あの山の中腹から流れ落ち、海へと流れていく川のせせらぎのことさえも。それは一種、感動的な視線である。体は、たよりないセスナの機体への心配から萎縮し ながらも、視線は大きく見開き、空と一体となっていた。小さなセスナ機でのフライトには、空を飛ぶことのアートが未だにある。飛行機が大型旅客化され、高度に安全なシステムとして構築される過程で失わざるを得なかったむき出しの空との一体感と、人間の飛ぶことの原初的な夢の形がそこには未だある。ドレイクがV字型の操舵を右へ倒していくと、小気味よく機体は反応して旋回していく。空の中で青いセスナの機体はまるでドレイクの体の延長のようである。僕らは、ドレイクの拡大された手足の中で緊張し、そして見果てぬ氷河湾へとむかっているのである。

どれくらい僕は、恍惚とした気分で撮影を忘れるほど、空との一体感を感じていたであろう。ヘインズの街を尻目に南下した機体は、西に進路をとり山脈の上へと飛び出して漂うように進んでいく。右手に大きなデイビットソン氷河が見えて来た。空を飛びながら見たらどんな風に見えるだろうと何度も何度も地図で予習した氷河である。夢中でカメラを取り出して撮影を開始する。氷河を遡上するように、ヘインズを飛び立ってからものの数分でセスナはいよいよ氷河湾へと突入してゆく。パイロットのドレイクがイーストアームが見えて来たとつぶやく。 氷河湾の東側の水路である。きっと僕も明日からシーカヤックで漕ぎ始めることになるであろう場所である。水路を舐めるように北に進路をとると、マックブリッジ氷河が見えてくる。その海岸氷河の壁の部分はなんとも美しく青く光っている。大きさも近づいて撮影するには良さそうである。明日からまずは、マックブリッジ氷河をめざして僕は進んでいくのがよさそうである。その奥に、リッグス氷河、ミュイアー氷河が見える。そららの氷河はすでに後退が著し くて、いまでは末端の部分が海に落ち込んではいない。モレーンと呼ばれる黒い石で覆われて、フォトジェニックでは全然ない。氷河は、強い力で押し出されて末端の部分が海に落ちるように次から次へとその表面を更新していくようでなければ、その美しい表面が姿を現す事はない。後退の著しいイーストアームの最深部であるミュイアー氷河は撮影対象としてはいまいちである。

上空からの視線はあまりに多くの眼下の情報を広い、頭がぐるぐると回りだす。その間もずっと眼下の様子を撮影し続ける。同乗した老夫妻は、あまりに僕があらゆるカメラを取り出してひっきりなく撮影しまくっているので、少しびっくりしているようである。さらにセスナは氷河湾の最深部まですすんでいく。ウェストアームの最深部、マルゲリー氷河とグランドパシフィック氷河が見えてくる。なんとも大きな海岸氷河である。よもやカヤックで近づけるスケールでは決してない。ふたつの氷河はいったいどれくらいの高さがあるのだろう。比較するものがないのでわからないけれど、ちょっとした高層ビルくらいはありそうである。 機体は、グランドパシフィック氷河の流れをたどるように飛んでいく。墨流しのように敷かれたモレーンの黒い線は、まさに氷河のハイウェイである。氷河の上に写る機体の影を眺めながら、氷の河の威容に目眩を覚える。一体に氷河を撮影すると豪語していた自分は、その全容を上空から垣間みてその対象のスケールの大きさにあらためて途方にくれる。やみくもに近づき、やみくもに撮影を繰り返すだけでは、何年かかっても決して地球規模のスケールを持つこの氷河という対象をは、撮影し尽くすことはできやしないだろう。僕は、氷河という大自然の神々しい姿を撮影するにあたって、なにを表現しようと試みようとしているのだろうか? どんな問題を氷河は、僕に突きつけてきているのか? 写真で作品を作り続ける以上、僕が氷河を通して対面しているテーマもきっと、今まで の美術や写真の歴史のなかにも、必ず存在していた問題のはずなのだ。先人のあらゆる言葉がめまぐるしく頭を巡る。自然。そう簡単につぶやいてみて、その言葉の大きさと、眼下に広がる自然と呼ばれるものそのものの途方もなさにまた目眩を覚える。人はなんともちっぽけだ。そんなありきたりの言葉が疎ましく感じる。人は自然の前にちっぽけだ。そんなことは十分に承知だ。もはやそんな言葉こそがちっぽけなのだ。もっと大胆に、もっと倒錯的に、もっと破天荒に、目の前の自然は僕自身が作り出したものだとさえ言えやしないだろうか! 見る事の強度を、そのくらい異常さをもって強めな がら、氷河と接する事はできないのだろうか? 写し出した目の前の氷河を、僕自身がつくりだしたんだなどという写真遊びを介入させて、全き自然を自分のものにできやしないであろうか? 圧倒的な大自然と戯れるように、遊びながら、僕は僕自身のやり方で、それらを自分のものにしたいのだ。謙虚に厳かに、受け止めるように自然と向き合ってきた従来の自然写真の先に、僕は氷河というモチーフを通して到達していこう。自然を完全に模倣するかのように写し取れる写真において、到達するべき高みはそんなところにありやしないだろうか? それは、透き通るような青い薄衣を纏って写真の上で輝くように現出してくるであろう。おぞましい程のあの肌理と、そして気の遠くなる程の時間そのものを内包した流動体よ!  機体は、ゆっくりとグランドパシフィック氷河の始まる山脈の山頂で旋回して、ヘインズの街へとあっという間に戻っていく。とにかく、明日から本格的に氷河湾での撮影がはじまるのだ。